すーずとにっく

砂の味がする

自己肯定感が低くて自己愛が強い状態を持て余している

自己肯定感が低くて自己愛が強い状態を持て余している。自覚はあって、どうすればいいか分からなくて、水槽の中の生き物を見るように、観察する時間がここ数年続いている。

 

「もっと自信を持って」とか「自分を大切に」とか言われるたびに(20代前半は本当にめちゃくちゃよく言われていた)、なんとなくしっくりこない感じがあって、自己肯定と自信とか自己愛ってもしかして別のものなのかも、と思い始めた。

それで最近やっと「自己肯定感が低くて自己愛が強い」状態なんじゃないかということはなんとなく掴めて、少し気が楽になったんだけど、扱いかたはまだよく分かっていない。
ちなみに自分を好きにならないと他人を好きになれないよ〜とかなんとか言いますが、好きになるならないとかでなく「私が否定する私を好きなあなたとは意見合わないですね」ということなんじゃないかなと思います。

 

 


私は自分を大嫌いなんだとずっと思っていた。
だけど、自分嫌いにしては褒められたいし、美味しいもの食べたいし、貶されたら不愉快だし、蔑ろにされたくない。不快や攻撃を避けたい。心地よい場所で甘やかされたい。大切にされたい。すごく。

 

自分が大事で、自分がかわいい。
でも自己否定が癖なので、自分が大切にされる価値がある人間だとは到底思えない。
ここで「私が否定する私を好きなあなたとは意見合わないですね」が発動するわけです。地産地消
逆に自分を否定してくる何かに「おお、趣味合うね」となるかと言われればそうではなく、普通に凹むし。

幸せだな楽しいなという状態になると(お前にその資格あんのか)と石を投げる自分が常にいるので、自分が幸せでいて欲しいのかどうかも分からず行ったり来たりしていて、

自信や自己愛がいくら高くても自己肯定感を補うことにはならないらしい。

 

 


アイドルとか、表舞台に立たれる方々を見ていると、自分なりの自己愛の扱いかたを見つけているんだなぁと感じる人が多くて、そういう人は魅力的に映る。
自分好きだなー!と笑っていたのは、本当はずっと羨ましさだったのかもしれない。妬みと言ってもいい。今は憧れ。
あと自分嫌いの方がなんかカッコいいと思っていたんでしょう。恥ずかしいですが、まあそんな時期もある。


サブカル(笑)みたいな空気感ももう終わった感がありますし、
ぱんぱんに腫れ上がって抱えきれなくなった自己愛とどう付き合うかは、たくさんたくさん恥をかきながら学んでいきたいと思います。今日はその一歩。